人生裏ローテ

通年裏ローテを守って地味に重宝がられる人生を送りたいITエンジニアのブログ

ひとりAdvent Calendarをやった感想と知見

背景

現職は 前職と違って インプットに積極的な人が多いので読書会などもあり、その一環(?)として社内Wikiで読書Advent Calendarが開催された。

全社公開が前提で各人それなりに落ち着いたラインナップだったので、私もブログ用に書いた『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学』の書評をリファインして載せたところ、けっこう良い反応を頂けたので非常に有意義だった。というか全記事で最多の「いいね」を頂いた。

社内でも読書が好きな人間が書いているので面白いのだけど、全社公開ということもあり攻めたラインナップが少ない。『完全教祖マニュアル』とか『タコの心身問題』を挙げる攻めた人もいたが基本はビジネス書が多かったので、分報(こちらの記事に詳しい) で愚痴ったら「ひとり裏読書Advent Calendarやったら?」という話になったので社内Wikiの個人スペースでやった。後悔はしていない。

感想と知見

書評は下に全部載せるがだいたい1回あたり1500~2000字、12/5(水)から12/25(火)まで、有給休暇を取得した21日以外は平日毎日更新していた。13冊の書評を書いたのでだいたい2万字と見積もっていたが、計測したら、25914字だった。文庫本1冊が12万字程度だから、1/5冊くらいは書けたことになる。

率直な感想としては、非常につらかった。もう二度とやりたくない。1回2時間くらいかかるし、平日毎日2時間を捻出するのが非常に厳しい。おかげで筋トレがかなり疎かになった。一応、やれるという自信はあった。薄い本のためにそれくらい可処分時間を投下する経験は積んでいるし、中学~高校と、図書委員でブックレビューはよく書いていたので腕に覚えもある。それでもつらいものはつらい。割とバカだと思う。

しかし、良い部分もあった、まず、読んだ本をもとに思考をしっかりまとめられるという点。これが一番大きかった。たとえば『サカナとヤクザ』の書評では「もしかしてヤクザが衰退しきった後に海外マフィアが入ることが最悪なんじゃね?」という考えが書評をまとめる過程で出てきたし、『ナナメの夕暮れ』の書評では「やっぱり若林、いいなぁ」と再確認できた。なので、書評自体は続けていきたい。読書メーターも面倒になってやめていたが、ブログ用に書いたものを要約すれば300字はすぐだな、と思う。(読書メーターの300字制限は一言には長すぎ、ちゃんと書くには少なすぎるので面倒になってしまう)

追加で本を勧めてもらうこともできた。『ナナメの夕暮れ』の書評に対して南海キャンディーズ山里の『天才はあきらめた』とか。正月休みで読みたい。

人間関係の面でいえば、自分を知ってもらうことができたのが良かった。「何を読むか」は思想の選択である。そこで敢えて小説、実用書、技術書を外して、思想性全振りにしてみた。そんなことをやって大丈夫なのかといえば、共産趣味がオープンな趣味になる会社なので全く問題なかった。むしろ共産趣味者の方とはお酒をともにする機会ができたので、社内人脈の広がりに貢献した。

これもインプットに積極的な人が多いから成り立つ芸当ではあるが、そういった人たちのなかでこういう頭のおかしい試みをやるとけっこう反応が貰えるということは学びであった。自己開示は大事。

ふりかえり

わりと「文章が面白い」と褒めてもらうことが多かった。社交辞令の「いいね」であっても、社内最多の得票なのだから割と額面通りに受け取っても良いんじゃないかと思う。

その一方で、過去の自分と比較して特に文章が上手くなったという気はしていない。ブックレビューなどで文章はよく書いていたが、面白いと言われることは少なかった。文集に載った経験もあまりない。

じゃあ、昔とどこが変わったのだろうか? と思うと、自己顕示欲と承認欲求が薄まったことが大きそうだ。昔の自分はとにかく衒学的だった。今もそういう傾向はあるけど、自制できている。そこが最大の違いだと思う。

言い換えれば、自制心がついた。本一冊をまとめようと思えば、短い文章ではどうしても零れ落ちるものが出てくる。それを切り捨てて、一本の流れとして整えられる程度には客観視ができるようになった…と信じたい。たとえば、『聖書男』の書評ではスピノザの『神学・政治論』をひきたくなったが諦めてスパモンの話で〆た。完全に蛇足だからだ。逆に『俺たち文化系プロレスDDT』では蛇足が出まくったので反省。社内のプロレス好きからは好評で『ぶらり路上プロレス』の話で盛り上がったけど。

そういう下地がある人間だから、往々にしてウケるものとやりたいことが乖離する。『いつも「時間がない」あなたに』はやりたいこととやるべきことが一致したが、他はわりと乖離していた。私は基本的に与太話をしていたい。けど、そういう人は多くないから『サカナとヤクザ』とか反応が悪い。対して一番ウケが良かったのは『ナナメの夕暮れ』で、身近な心の陰の話はやっぱり評判がいい。

『ナナメの夕暮れ』が一番身近で共感を誘える話なのはわかるし、そういうものに需要があるのは理屈でとてもわかる。自己開示としてもなかなか良い。けれど、「役に立つ」ということに強烈な拒否感がある。「役に立たない」ことで承認をされたい。存在に対する承認が得られず、役割に対してしか承認を得られなかった子供時代の記憶はだいぶ払拭できたが、まだまだその記憶に反抗していたい。

来年もこの旅を続けることになるのだろう。今はちょうどカーネマン『ファスト&スロー』を読んでいるが、『聖書男』とあわせると宗教的な教えと行動経済学の教えには共通する部分があることがわかってきた。「役に立つ」ことへの拒否感を薄めるための方法が、靄の向こうにぼやけた輪郭で存在している。けれど、そのためには若林の言う価値下げをやめないといけない。山里本、年末年始で読もう。

書評

12/5 一ノ瀬俊也『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 帝国陸軍戦法マニュアルのすべて』

軍事に明るくない人にとって、太平洋戦争中の日本軍の戦法といえば無軌道なバンザイ突撃や特攻に代表される「精神主義」的なものが思い起こされるだろう。しかし、そのような戦術がなぜとられたか、という点については軍部の愚鈍さの一言で片付けられてしまうものでない。

本書は埼玉大学の教授が非常に多くの資料を渉猟し、日米双方の記録から日本軍の戦法の実相と、その戦法を採用するに至った経緯を解き明かす一冊だ。

結論から先に書こう。日本軍の戦法のほとんどは、圧倒的な工業力、火力、機械力の差に対して、当時の日本軍が唯一豊富に利用できた資源である人命を利用したものであった。

よく言われるように、日本軍の上層部は彼我の戦力差を理解せずにあのような無謀な戦法を選択したわけではない。戦力差を理解していたからこそ、弱者の戦略をとらざるをえなかったという逆説的な構図が存在する。そのために「皇軍の美風」「銃剣突撃の精華」などの言葉で自己説得と鼓舞を行っていたのだ。

その起源を理解するためには、日中戦争に遡る必要がある。開戦当初、日本軍は中国軍に対して火力面でも圧倒的優位に立っており、むしろ中国軍が欺瞞作戦や狙撃兵の利用を数多く行っていた。当時の日本軍は中国軍の火力の低さを侮って強引な突撃を繰り返しており、こういった戦法によって負けてはいなくとも大きな損害を受けていた。その当時に中国軍にやられていた戦法を、対米戦争において数多く利用している。というのが本書で解説される主な内容である。

この現実からすると、日本軍は決して学ばざる組織などではなく、中国戦線での戦訓から対米戦争において「理性的」な行動をとっていたと考えざるをえない。確かに辻政信をはじめとする皇軍の評判の悪い人物の書いた文章も、裏のレトリックを読み解けば彼らが理性的であった、と思わせる。

しかし、だからといってそれを看過しても良いものだろうか、という思いがふつふつと湧いてくる。「正攻法で負けているのだから、精神性に頼った具体性のない戦術で勝とう」という負け惜しみは、どれだけ見栄えのいいレトリックを被せたところで嘘でしかない。しかも、兵隊は命をかけているのだ。作戦を立てる側が正気なまま、一番安価な資源として命を使い潰されるというのは怒りしか湧かない事案だろう。

もちろん、昭和の軍人に言っても詮無いことであるし、我々はこの構図が現代も生きていることに怒らなければならないだろう。駄目なSIerでよく言われる「凡人がチームワークでソフトウェアを作る」なんてまさに上記の酷い負け惜しみで、それで使い潰されるのが末端のSEというところまで全く似通っている。

…と、戦前、戦中、戦後を通して存在する日本の組織の駄目な部分をたんまり見せつけられる記述の連続であり、あまり気分の良いものではない。しかし歴史の臭い部分に蓋をして美辞麗句を並べ立てるようでは、辻や駄目なSIer幹部を始めとする悪い日本人と同じになってしまうので、しっかり見据えなければならないな、と襟を正してくれる一冊である。

12/6 レスター・グラウ, マイケル・グレス『赤軍ゲリラ・マニュアル』

赤軍ゲリラ・マニュアル

赤軍ゲリラ・マニュアル

フランスではデモが暴動化している、日本でもいつ暴動が起こるかわかったものではない。 いきなり話が飛躍していると思われるかもしれないが、所得分配の不平等をはかる指標であるジニ係数だけをみれば社会騒乱がいつ起こってもおかしくない状況だ。

仮に暴動に巻き込まれデモ隊に狙われようが、あるいはデモに参加して警察に狙われようが役に立つ技術が書かれた本をご紹介しよう。それが『赤軍ゲリラ・マニュアル』だ。

本書は1943年に赤軍が対独パルチザンの指揮官向けに発行したマニュアルである。これを読んで実践すれば、素人でも立派なパルチザンになれる、というわけである。

赤軍にはなぜこのような本が必要だったか。これには理由がある。1930年代、スターリンによる大粛清の嵐は赤軍にも吹き荒れ、トハチェフスキーをはじめ多くの有能な指揮官を赤軍は失っている。余談だが、1946年までは赤軍=ソヴィエト共産党の軍がソヴィエトの戦力であり、正式な国軍としてのソヴィエト軍第二次世界大戦後まで存在していないため、本稿では一貫して「赤軍」で通す。

さて、赤軍は人材が払底した状態で1941年の独ソ戦を迎えるわけだが、指揮のまずさや統制のとれなさから、緒戦の段階では多くの領土を失う。そのような状況下でソ連が志向したのがドイツ占領地域でのゲリラ戦である。

ソ連において、第二次世界大戦は「大祖国戦争」と呼ばれる。そして、戦勝国でありながら、犠牲者数は日本の8倍以上の2000万人を数える。その勝利に、膨大な血を流して貢献したのが彼らパルチザンである。余談ついでだが、女性も数多くが従軍しており、彼女たちへの聞き取りをもとに書かれたのが有名な『戦争は女の顔をしていない』である。まだ読んでない。

さて、はじめのうちはソ連も統制を優先して現地住民をパルチザンに使わなかったりしたが、当初のパルチザンの多くが戦死するに至り、戦局が苦しくなるなかで地元住民をパルチザンとして徴発せざるをえなくなった。そして1943年にはとうとう教育マニュアルが発行されるに至ったというわけだ。しかし内容は本書が発行されるまでの2年間、多くの戦士が文字通り血であがなった戦訓に裏打ちされている。その重さが詰まった一冊がこの『赤軍ゲリラ・マニュアル』である。

この圧倒的なリアルさこそが魅力である。一次資料の生々しさが楽しみたいなら必読だ。冒頭にはスターリンの演説も収録されているので、当時の雰囲気が感じられる。

内容はどうかというと、パルチザンの基本戦術にはじまり、武器の扱い方、偽装のやりかたなど、パルチザンとして生きていくための知識で詰まっている。なかでも面白い部分は、鹵獲兵器の使い方にかなりのページ数が割かれている点だろう。軽機関銃に至っては赤軍のDP28の説明よりも独軍MG34の説明のほうがより説明が詳細なほどだ。

ヒトラーの電動のこぎり」の異名をとったMG42をはじめ、独軍の小火器は性能に優れていた一方、第二次五カ年計画を経てもいまだ重工業で遅れをとっていたソヴィエトという背景を考えると、鹵獲兵器を利用したほうが戦果が期待できると考えたのかもしれない、そういう妄想も湧いてくる。

化学兵器への対応でも一章が割かれている。マスタードガスをはじめとする各種の毒ガスへの対応が書かれていて勉強になるとともに、時代性を感じさせる。

軍事的な部分以外でも面白いところはたくさんある。第12章『応急手当』以降の話は冬季の極限サバイバルとして覚えておいて損はない。真冬に大災害が起きて暖房がない状況下でも生きられるのではないかという気さえしてくる。冬山に放り込まれても雪をしのぐ拠点と食料貯蔵庫を作り、雪中でも生きながらえるための知識が手に入る。

暴動はなくとも、もしものため、災害用バッグやキャンプバッグに一冊忍ばせてもいいかもしれない。備えよう。

12/7 若林正恭『ナナメの夕暮れ』

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

売れている芸人には、二種類のタイプがいる。 ひとつは「陽」の芸人、多くの芸人がこのタイプに入る。 もうひとつは「陰」の芸人なのだが、こちらの代表格がバカリズムとオードリー若林だと考えている。ちょっと卑屈な空気をまとったユーモアとでも言えばいいだろうか。ぬるくて粘っこい笑いである。東京03南海キャンディーズ山里亮太などもこの範疇に入るだろう。 (完全に余談だが、バカリズムの同名書籍をドラマ化した『架空OL日記』は陰のオーラ全開で異常に面白い。監督は戦国鍋TVや実在性ミリオンアーサーでお馴染みの住田崇だ)

対するオードリー春日は「陽」の体現者みたいなものである。この陰陽が混ざり合った奇跡のコンビ、それがオードリーである。だからMCが面白いのだ。

そのオードリー若林が雑誌『ダ・ヴィンチ』での連載に、大幅に書き下ろしエッセイを加えたものが本書である。

実は若林は同誌での連載をまとめた本として『社会人大学人見知り学部卒業見込』という本を過去に出している。正直なところ、こっちを読んでから本書を読んでほしいのだが、我慢して話を先に進めよう。

若林はかなり神経質で、自意識過剰で、自分に自信のない人間である。『社会人大学~』にはこういう記述がある。

笑うという反応は人間の中でも嘘のつきにくい反応なのだそうだ

これは精神科医の受け売りとのことだが、この後の記述が刺さる。

(芝居の後に)漫才をやっている時にお客さんの笑い声を聞いて圧倒的だなと驚いた。それは、反応への実感性と信用度だ。

笑いを通してしか承認欲求を満たせない人間、それが前作『社会人大学~』の序盤での若林である。 自己肯定感に薄く、社会とうまくやっていけない人間が、社会と関わること以外を通して承認欲求を満たそうとするという経験に非常に共感を覚えて、一気に私は若林が好きになった。

その若林は、前作の最後である結論に達する。

社会なんて、自己ベストを更新していくだけでいいという自信さえあえば自由に参加していい場所だったんだ

この結論に、胸が震えた。こうしなければ生きていけない、あぁしなければ参加できない。社会というのは、そういうガチガチの制約に縛られた茨の迷路のようなものだと読んだ当時の私は思っていた。正確には、そうではないのかもしれないけど、それを信じられるほどの言葉に出会えていなかった。

若林の言葉は、社会は迷路ではないと信じるに足る言葉だった。

それから5年。若林は成長し続けていた。その答えを2018年に受け取れたのは、きっと幸せなことである。 前置きが長くなったが、まえがきから引用しよう。

生き辛いという想いを抱えていて、息を潜めて生きている人はもしよければお付き合いください。 毎日が楽しくて充実しているという人は、今すぐこの本を元の位置に戻して、引き続き人生を楽しんでください。

戦争とか革命とか、そういった物騒さではなく、身近で、それゆえに深刻な闇の話をしたい。 ここから先、「若林は」「私は」という主語がない場合は、基本的に「若林がそう書いてたけど、私もそう感じていた」という話になる。

ずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。死ぬまでに、そういう人間になりたかった。脳科学の本を読まずとも明るくて、歴史を学ばずとも生きるセンスがある人に、大きめのコンプレックスがあった。しかし、若林はそれを諦めることで、「毎日を楽しむ」ことを手繰り寄せた。

私はその過程を、新宿のカフェで貪るように読んだ。言っていることが、わかりすぎるのだ。たとえば、「価値下げ」の話。

価値下げによる自己肯定は楽だから癖になる。 ハロウィンの仮装、バーベキュー、海外旅行など、それらをSNSでコソコソと価値下げ攻撃をしていれば、反撃を食らうこともないし自分がそういうムーヴメントに流されない高尚な人間のような気分も味わえる。

うんうん、わかるわかる。私も高校生の頃、チャラチャラした奴らのことをバカにしていた。理由はもう覚えていないけど、そのせいで今でもオシャレに抵抗感がある。若林はこう述べる。「他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う。」と。

上から目線で言われるのではない。ちっぽけな自尊心~みたいな紋切り型の、突き放すような批判をされるわけでもない。なぜなら、当時は本気で価値を認めていなかったのだから。おそらく、若林にしてもそうだろう。

それゆえに、ひたすら実感としての言葉を突きつけられる。これが重い。重いのだけど、心地よい。伴走者がいるマラソンみたいなものだ。しかも、自分のことをよく理解してくれる友達が、歩くようなスピードで、体育教師に怒られるのも気にせず走ってくれる。そんなテンポでエッセイは綴られている。

若林はあまり「○○するな」とは書かない。「○○していないからダメ」という自己否定は、今を生きることに繋がらないからだ。その自己否定をし続けることで、いくらでも逃げ続けられる。 かといって、「○○しろ」ともあまり書かない。強制されたところで身が入らないからだ。だから、自分が得する考え方をしよう、と話をもっていく。

これは読者に向けた言葉ではなく、おそらく若林が自分自身に向ける言葉なのだろう。それが結果的に、私を含めた生きづらい人間に刺さりまくっている。どうやら、生きづらい人間たちは、けっこう同じところでつまずいているらしい。

若林はつまずくことを責めるのではなく、転んだ軌跡を見せてくれる。時折、回避策も教えてくれる。そして何より、つらさを越えた先の世界でどう感じているかを教えてくれる。大げさに言えば、「どう生きるか」についての選択肢を提示してくれる。それも、他の誰もできなかったような方法で。前作で感じた「好き」は「もっと好き」に変わった。

これは読むカウンセリングである。

もし生きづらさを感じているなら、少しでいいから若林と走ってほしい。合わなくても別にいいから、と言ってくれるから。

12/10 高野秀行『アヘン王国潜入記』

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

「ワ州」という地名を知っている人間は相当ツウだろう。ミャンマーのシャン州、中国との国境地帯にある事実上の自治管区であるが、おそらく日本人として足を踏み入れたのが著者の高野秀行だろう。のちに安田峰俊も潜入を行っているがこちらはまだ読んでいない。

なぜ、ミャンマー政府の管轄が及ばない地域ができたのか。少数民族であるワ族が住んでいるというのも理由だが、それだけではない。アヘン栽培によって得た富で、軍を持っていることでミャンマーから事実上の独立を得ているのだ。

高野がワ州に密入国した1995年当時、世界のアヘン生産のほとんどはタイ・ラオスミャンマーにまたがる「黄金の三角地帯」で行われていた。アヘン生産で成り立っている事実上の自治管区に潜入を行うだけでも衝撃的なのだが、そこで1シーズンの間アヘン栽培をするルポタージュが本作である。

なぜ、高野はそのようなことをやろうと思ったのか。高野は学生時代に「探検部」という時代離れした部に所属しており、秘境に強く憧れていたものの、アフリカや南米を渡り歩いて得た結論は、世界に残されている秘境は「政治的秘境」か「人間の精神の暗部に巣くう比喩的な意味での秘境」しかないというものだった。

この好奇心を満たすのが、当時アヘン生産が盛んだった黄金の三角地帯であったが、彼はジャーナリズム的な手法に違和感を感じる。ジャーナリズムを鳥瞰だとするなら、虫瞰でいきたいというのだ。本書の表現を借りるなら「一本一本の木を触って樹皮の手触りを感じ」たかったらしい。

そうして、アヘン生産の村に滞在した世界でも稀な記録が生まれた。

全編を通して描かれるのは、アヘン栽培者との交流がほとんどである。アヘン栽培を行う農民には、罪の意識はない。ただ商品作物としてアヘンがあり、それで生計を立てている。だが、男がワ軍に徴用されているせいで、村に異常に寡婦が多いことがアヘン生産による「国」であることを感じさせる。

アヘン生産という稼業のおかげで「秘境」となったワ州の村は、原始共産制に近い。学校が作られる場面があるが、それまで管理という概念すらほとんど存在していなかったのだから驚きだ。学校制度によって管理や優劣、方言といった概念が「誕生」する瞬間を高野は目にする。この驚きはかなりの興奮を伴う。まさに樹皮の手触りだ。

宗教という概念も存在しない。「何を信じているのか」という問いに対し、ワ人は首をかしげる。しかし後日、ワ人はおまじないとしてネズミを備えたり、祖先の霊に祈ったりしていた。そう、彼らにとって霊は事実だから宗教的な意味での「信じる」という語彙がないのだ。下手な異世界転生モノより数段ハードな、文明レベルの差異が生み出す様々なエピソードも魅力である。

アヘンの収穫後、高野はアヘンを吸うことも行う。おそらく、アヘン中毒になる過程を描いたルポタージュはこれをおいて他に存在しないだろう。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の薬物描写もなかなかだったが、こちらは実体験を伴っているぶん、より感覚が伝わってくる。(※村上龍は薬物をやっていないものとする)

そんなこんなでアヘンの収穫後、タイのチェンマイにいるコーディネーターのもとに赴く高野であったが、あまりにアヘンを扱うことに慣れてしまったせいでアヘンの塊を記念に持ってきてしまうのだ。麻薬と信州名物野沢菜漬け(本文より)が同等の重みになる世界。この世界観に浸ってしまうことを「精神的中毒」と高野は称する。

対象に近づくうちに無意識に感化されるというのはフィールドワークでよくあることだが、感化される過程と、そこから引き戻される瞬間を両方描く書籍は稀有だろう。このバランス感覚があるからこそ、今なお本書は高野秀行の「背骨」となっている。

12/11 鈴木智彦『サカナとヤクザ』

日本のヤクザライターのトップは溝口敦だが、鈴木智彦はそれに次ぐ実績と能力を持つ人物だろう。溝口は複数回、暴力団による襲撃を受けてなお暴力団を追い続ける硬派なライターである。その溝口を尊敬してやまないのが鈴木だが、彼の手法は溝口とは少し異なっている。

溝口は明確に反暴力団を掲げ、暴力団の不興を買うことを恐れない一方、鈴木は暴力団そのものを肯定しないのはもちろんとして、文中では明確な否定もしない。ただ、そこにあるものとして、無色に知ろうとする。取材対象に近づくにつれ感情が入って擁護するような素振りがない辺りに非常に高いバランス感覚を感じるが、それでいて本人は「溝口敦には絶対追いつけない」と語る。(『潜入ルポ ヤクザの修羅場』より)

そんな鈴木が原発作業員として潜入労働を行ったルポ『ヤクザと原発』に続き、2013年から5年にわたる取材をまとめたのが本書である。溝口敦が『食肉の帝王』で食肉と暴力団の関係を暴いてから15年後、今度は鈴木が漁業と暴力団の関係を暴いた。

漁業と暴力団の関係でいえば、シラスウナギの多くが暴力団の絡んだ密漁であるという話はずいぶんと知られるようになってきた。しかし、戦後すぐの銚子港がまるまる暴力団に牛耳られていたことや、北海道の観光朝市、さらには築地にすら密漁品が堂々と並んでいることはあまり知られていないだろう。私も本書によってそれを知った。

密漁には、二種類あるという。

一つ目は、観光客や住民などが漁業権の設定されている区域の海産物を採捕してしまうもの。元横須賀市長の吉田雄人がサザエの密漁で捕まったのはこのケースに入れて良いだろう。

二つ目は、漁師が禁漁期間などの制限を守らずに漁を行うもの。暴力団がかかわっているのは主にこちらで、品目によっては暴力団が直接密漁を行っている。本書ではこちらを扱う。

三陸のアワビ密漁取材、築地の潜入労働、北海道のナマコ密漁取材、うなぎの追跡。どれもこれも取材は刺激的で、歴史を主に描いた部分(銚子)では鈴木の知識量もあって濃厚な闇の戦後史を知ることができる。築地の章を読めば、昨今話題になった豊洲移転にも語られない闇がありそうだな、と想像が膨らむ。

個別のエピソードには多く触れないが、なぜこんなにも密漁がはびこるのか、という点について鈴木は必ずしも暴力団のみが悪いとは言わない。かといって必要悪とも言わない。そもそも、日本の漁業の歪みに暴力団のつけ入る余地があった、という見方をする。

密漁品は正規のルートでは流せない。そこでロンダリングの必要がある。それでも捕まったときに、泥をかぶる人間は必要である。そして、海産物の需要を満たすには、既存の漁業ルールでは不足である。この間隙が金になるならば、暴力団の出番である。

つまり、需要があり、高額な海産物のほとんどには暴力団が絡んでいるであろうことが想像できる。

本書から浮き上がってくるのは、変わらない、変えられないルールのもとで徐々に干上がっていく日本の漁業と市場の間にある微妙な部分に寄生する暴力団という構図だ。

「漁業権」というのは世界でも日本にしかない概念なのだそうだ。諸外国では、それぞれの漁船に操業許可が与えられる。一方の日本では、大宝律令以来、居住地に隣接する海というエリアに対して権利が与えられきた。このせいで明治期に諸外国の法律を真似ることができなかった。その結果、現在まで日本の漁業は特殊な形態を続けており、クロマグロ規制などの「外圧」を経ても変わる気配がない。

だが、この構図が続くこと自体はそこまで恐怖ではない。暴力団自体が斜陽化している現在、本当に怖いのは構造的な歪みが放置されたまま暴力団がいなくなった後のことである。都市圏ではすでに暴力団の力が及ばなくなった部分に海外マフィアや、既存の犯罪組織と繋がりを持たない半グレ集団が入り込んでおり、取り締まりも難しくなっている。

警察と暴力団がナアナアでやっていた頃が良いとは言わないが、秩序の底が抜けたことは事実である。それが漁業に及んだとき、本書で語られる以上の闇が出てくるのではないか――現にうなぎビジネスにはその兆候が見える――そう思わせる一冊だった。

12/12 呉座勇一『一揆の原理』

一揆の原理 (ちくま学芸文庫 コ 44-1)

一揆の原理 (ちくま学芸文庫 コ 44-1)

呉座勇一というと話題になった『応仁の乱』を出したくなる人もいるだろうが、私はこちらを推したい。今年の著書『陰謀の日本中世史』も面白かったが、初の単著である本書が一番瑞々しい問題意識を持っているからだ。

本書の出版は2012年、呉座自身の執筆の遅れもあったため少しズレるが、ジャスミン革命をはじめとしたソーシャルネットワークでのつながりが新しい民主化運動と地続きだった時代だ。その前提を踏まえ、日本中世史における一揆を題材にこれからの民主主義について語るというかなり意欲的なことをやっている。(『陰謀の日本中世史』では問題意識が「歴史研究者は俗説に反論するのを軽視しすぎた」という点にシフトしていてこちらも見応えがある)

まず、呉座は戦後の日本史研究における一揆の扱いを一蹴する。冷戦終結まで、日本史学会ではマルクス主義的な階級史観をとった研究が多く、一揆階級闘争と重ねて過度に賛美する傾向があった。しかし、これは現実を反映していない。近世の話ではあるが、江戸時代の百姓一揆をみていくと、住民たちの主張において「幕府には百姓が生活できるようにする義務が存在する」という前提が存在している。これを専門用語で「仁政イデオロギー」という。

つまり、江戸時代の百姓一揆幕藩体制の存在を前提としており、「領内での百姓一揆は統治の失敗として幕府から責任を問われる」という構造を利用したものであったというのである。悪く言えば馴れ合いに近い。

この「一揆」がどのように生まれ、どのような構造を持っていたか、というのを解くのが本書の目的である。

本来、一揆という言葉は様々な集まりに用いられていた。江戸時代には一揆を起こされる側であった武士どうしが「一揆」を結ぶ、という例すら見られる。山城国国人一揆を日本史で習った人も多いだろう。また、寺社による強訴も一揆の一種であるという。これらに共通する原理を解き明かすことで浮かび上がってくる構図は、「全員の気持ちが一つであるから正しい」という情緒的な力である。

建久9年(1198年)に興福寺僧らが頼朝に提出した興福寺牒状に触れた際の指摘は、本書の核心といってもいいだろう。

明文化されたルールに則った論理的・客観的な判断ではなく組織内の調和に配慮した情緒的・主観的な判断に〝正義〟を見いだす日本人の「国民性」は今も昔も変わらないなあ、などと歴史家らしからぬ感慨をつい抱いてしまう。それはともかく、団結することが至難であるからこそ、全員が心を一つにして示した要求事項は尊い、という興福寺衆徒の主張は一揆の核心を衝いていると言えよう。

この「全員が心を一つ」になっていることを示すために様々な儀式があり、「一揆を結ぶ」という表現が用いられたというわけだ。いわば、一揆とは交渉の材料であり、体制の否定ではない、というのが本書を貫くテーマである。

安保闘争以来、日本の政治シーンにどことなく感じていた胡散臭さの正体はここにあったか、という感じがする。リベラル系の市民運動のほとんどはこの仁政イデオロギーに支えられていたというのが呉座の観察だ。『タテ社会の人間関係』『失敗の本質』『空気の研究』といった日本人の特徴分析は数十年前に出揃っているにもかかわらず、旧来の価値観や既存の政治を批判する人間たちの多くがこれらの書籍で述べられるような点にどうして有効打を打てないのかという疑問が私にもあったが、一揆や仁政イデオロギーという概念を通して見れば理解できる。多くの人間は既存の価値観や支配構造を破壊するところまでは志向していないのだ。

終章では、與那覇潤の言葉も借りながら、「現代の反原発一揆である」という主張がなされる。納得感のある主張だが、呉座の主張を読むたびに階級史観的な考えが脳を掠めることで、いまだに自分は階級史観を相対的に見られていないのではないかという部分に自戒を抱いた。

12/13 ヘンリー・マーシュ『脳外科医マーシュの告白』

脳外科医マーシュの告白

脳外科医マーシュの告白

原題は"Do No Harm" 医学生が必ず教わる、生命倫理の4原則の一つである。この言葉は古代ギリシアヒポクラテスの時代まで遡ることができるという医療の原則だ。正確には、"first do no harm"つまり「なによりも、害をなすなかれ」となる。

しかし、医療に絶対は存在しない。良かれと思って行った治療が裏目に出て、かえって事態を悪化させるという経験は全ての医師が持つものだ。そして外科医、とりわけ脳外科医は開頭手術を行う以上、背負うものが大きくなりがちである。

本書はイギリスきっての脳外科医であるヘンリー・マーシュが医師としての苦悩と経験を綴った一冊だ。ミスが招いた恐ろしい結果と向かい合いつつも打ちのめされず、患者と距離を保ちながらも共感を持ち、予後に希望を抱きつつも現実を直視する。そのバランスをとろうとする過程が、脳外科手術やそれにまつわるエピソードともに描かれている。

手術を受けることで予後が悪くなったり、最悪死に至る可能性もあるが、それでも手術をしなければ近い内に必ず命を落とす。脳外科の現場においては、そんな状況が日常となる……らしい。伝聞にするのは、それが事実だと分かっていても納得しきれていないからだ。

医師にとっては日常であっても、患者にとっては生死の境である。ゆえにマーシュは「あらかじめ手術が危険だと言っておけば責任をあまり感じずに済むのではないか」という誘惑にかられる。それを振り払って、せめて手術の前日は希望を伝えようとする姿勢から感じられるプロフェッショナリズムには心を打たれる。

同時に、そのプロフェッショナリズムは手術に失敗したときにも発揮される皮肉も存在する。手術によって麻痺を残そうが、死を招こうが、失敗のショックはそのうち傷痕になり、いつしか心の奥底に埋葬される。その様子を過去の外科医は「共同墓地」と表現した。マーシュもまた、心のうちに共同墓地を持ちながら生きているのだ。

そして、いざ手術となると精密機械のように執刀をこなす。本書の魅力の一つは、脳外科医ならではのディテールで描かれる手術の描写だ。その場にいるような臨場感というよりは、脳という小宇宙に一緒に迷い込んでいるような感覚すら覚える。血管の一本に至るまで気を遣う脳外科手術の繊細さに比べれば、人間の脳はあまりにも大きい。

マーシュはイギリス国内だけでなく、冷戦終結直後のウクライナでも手術を行っていた。そのなかで一番大きく、痛々しい経験として語られるのが当時十一歳の少女、ターニャとのエピソードだ。詳細は本書を読んでほしいのであまり多くは触れないが、若かったマーシュは勇躍した結果、「害をなす」ことになってしまう。この後も行われたウクライナでの治療や、ターニャの母親のもとを訪れる様子がBBCのドキュメンタリーになっているが、ラストシーンの解説で「共同墓地」の存在を否が応でも感じてしまう。

マーシュは冷酷なのだろうか? 本書を読む限り、全くそんなことはない。良識的で、良心的な医師である。脳外科手術においては、何一つ失敗がなくても患者の意識と思考を奪いかねないという不条理が存在する。ゆえに偉大な脳外科医は健忘が得意であるとマーシュは自嘲を込めて語る。マーシュは彼の言う「偉大な脳外科医」にはなれなかった。それが本書が存在する理由である。

だが、私はマーシュが偉大な人間だと考えている。自らの弱さを認めて悩むことは、自らの弱さを忘れることよりも何倍も辛い。まして、それを書籍の形にすることは辛い道を歩む覚悟以上の勇気を要するのだから。

12/14 セネカ『生の短さについて 他2篇』

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

ストア派哲学そのものについては多くを述べない。禁欲主義と解されることが多いが、少なくともセネカマルクス・アウレリウスは物質的な欲求を克服したというよりは、はじめから精神的な充足を求めていたように感じる。そもそもスタート地点が違うのだ。

そんな格の違う2000年前の哲学者の言葉であるが、今読んで学ぶことも多い。それは人間の悩みも、社会の形も、現代とそう変わっていない部分が多いということだ。ローマ人はどのような考えを持っていたのかだろうかと期待して読み進めると、セネカの指摘は現代社会においても通用する部分が多く存在する。それどころか、固有名詞や時代背景を書き換えれば同じ論旨を展開することだってできるだろう。

たとえば、「今に集中せよ」という教え。これは昨今、欧米で瞑想がブームとなっていることと無関係ではないだろう。瞑想について書かれた翻訳書を読むと、「今への集中」というところに主張の力点がおかれる。そして、キリスト教倫理との共通性からストア派は欧米で今なお人気を持つ。受け入れるための素地があったと見るのは自然なことだろう。

『生の短さについて』でセネカはローマ人の堕落を嘆く。彼らは時間を浪費しているとセネカは言う。多くのローマ人は過去を振り返らず、今をおざなりにし、未来のことばかりに怯えているように見えるらしい。仕事に忙殺され、襲い来る責任に恐れを抱き、休暇を待ち遠しく思う彼らは、今を生きていないとセネカは断罪する。だから死の前に、時間を自分のために使ってこなかったことを後悔するのだと。現代でもよく見る話だ。昭和の仕事人間がよく口にするタイプの後悔である。

そのように人生を送った人間は、長く生きてはないとセネカは指摘する。ただ、長くそこにいただけである。人生を航海にたとえたとき、風に流されるままその場をぐるぐる回っているようなものだ。とずいぶん手厳しいが、コンビニで些細なことで文句を言う老人を見れば現代でもそのまま通じる話だ。古代ローマにも、理髪師に些細なことで怒る人がいたというのだから笑ってしまう。

ストイックの語源であるストア派セネカにしてみれば、ローマの「堕落」がよほど目に余るものだったのだろうと感じるが、2000年後に生きる我々はセネカより多くの歴史を知っている。そこで、一つの仮説を立ててみよう。もしかしたら、多くの人間の生き様というのは本質的にはほとんどアップデートされていないのではないか。

ゆえに優れた文学や哲学は時代を超えて存在できる。「なぜ、数百年、数千年前の書物が我々の心を打つのか」と問われれば、皮肉にも人間が大して進歩していないから時代が障壁にならないのだと答えることができる。考えてみれば、テクノロジーの進歩に比例して人間の能力が向上したという話は聞いたことがない。人類は100年前より何倍も進んだ科学技術を持っているが、100年前より2倍以上身体能力や知能が伸びたわけではない。1896年の第一回オリンピックでの100m走で金メダルをとったトーマス・バークは100mを12秒で駆け抜けた一方、2016年のリオ五輪でのウサイン・ボルトのタイムは9.81秒である。どんなに多く見積もっても、我々自体の能力は30%も向上していない。

面白いことに、テクノロジーの進歩と人類の進歩が釣り合っていなかったのは2000年前も同じだったらしい。ヒポクラテス(そういえば昨日もヒポクラテスの言葉を引用していた)は述べている。「生は短く、術は長い」と。医術を学ぶには長い月日を必要とするが、人生は短いので怠らず励むべきだという文脈の言葉らしい。この言葉もまた、現代に通じる普遍性を持つ。

「人生を有意義に生きろ」みたいな説教めいたメッセージを言いたいわけではない。そういうのは自分で気付かなければむしろ害悪になる。多くの人が人生の終盤になってようやく本当の意味に気付くとしても、その前に他人が気付かせることは不可能に近いだろう。もし可能であればベストプラクティスが普及しているし、2000年前の哲学は無力になっているだろう。(アメリカのアーミッシュは成年後も禁欲的な生活を送るか選択させるために青年期の一時期を意図的に自由に過ごさせるらしいが、そういった手法はあまり一般的ではない)

テクノロジーは螺旋を描きながらどんどん上に進歩してきたが、人間性の描く螺旋はあまりにも傾斜がゆるかったのではないか。古代の哲学から、そんな悲哀を感じ取ってくれれば幸いである。

12/17 工藤隆雄『マタギ奇談』

マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り

マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り

マタギという職業はもはやほぼ消滅したといっていいだろう。ハンターの激減とそれに伴う農作物などへの被害が大きくなったことを受け、最近になってようやく国が重い腰を上げてはいるが先行きは暗い。本書はそんな消えゆく職業であるマタギたちに聞き取りを行った貴重な証言の数々である。

第一章「歴史のはざまで」に所収されたエピソードはどれも面白い。そのなかで最も興味をひくのが冒頭の「マタギが八甲田で見た人影はなんだったのか」だろう。新田次郎の『八甲田山死の彷徨』で知られるようになった、有名な八甲田山遭難事件の裏側にある不思議なエピソードである。エピソード自体はおそらく極限状況に追い込まれた人間が見た幻覚だったのだろうが、その経緯が非常に面白い。少し長くなるが紹介したい。

明治35(1902)年、歩兵青森第5連隊の210人が八甲田に向け出発する3日前、山を挟んで反対側の弘前第31連隊の38人が八甲田山に雪中行軍に赴き、途中撤退した1人を除き全員が無事に踏破したことは遭難事件ほどではないにしても知られた事実である。成功の要因として挙げられるものの一つに案内人を用意したことが挙げられるが、それが八甲田山を狩場とする7人のマタギ達であった。

弘前隊の指揮官、福島大尉は民間人に冷徹である。兵士には雪洞で休憩させるがマタギ達は休憩させず、温泉小屋の主を連れてくるように命令する。途中、遭難した青森連隊が放棄した小銃を発見するが、「国の大切な銃を捨てるとはけしからん」としてなぜかマタギ達に持たせる。挙句の果てには「口外すれば軍隊の牢獄に入れる」と脅す非道っぷりである。7人のうち2人はこのときの凍傷がもとでその後亡くなっている。もちろん陸軍からの補償などはない。

さて、このマタギの証言はどこからとれたかというと、1930年に生き残ったマタギの一人である沢内吉助が知人の福田政吉に話し、福田が地元の新聞に投稿したことで知られることになった。ここから村の青年団が生き残った5人のマタギから話を聞いてまとめ『八甲田山麓・雪中行軍秘話』という小冊子が発行された。

この事件に興味を持って調査を行った小笠原孤酒という作家がいて、新田次郎にも情報提供を行ったのだが、新田は多くの事実を小説の面白さのために省いたり曲げたりしており、結果としてその印象が今日まで続いている。一例を挙げると、青森隊と弘前隊は全く無関係に八甲田山を進軍したが、新田の小説では互いに落ち合うことになっていた。新田の作品で映画化された『剱岳・点の記』も同じような「脚色」が存在するのだろう。記録文学は面白いが史実ではない。史実のように引用する人を見かけたら警戒しよう。

新田次郎や、弘前連隊の「成功」を喧伝する人を批判するのが目的ではないので八甲田山の話はこれくらいにしておこう。

本書は歴史の話よりもマタギに伝わる逸話や寓話を題材にしたものが多い。通常2匹しか出産しない熊が3匹の子供を連れていたら殺してはならない、という掟を破った猟師が家族もろとも不可解な死を遂げた、というような話が半分以上を占める。民話的で、怪談というわけでもないので「奇談」なのだろう。

これらのエピソードに共通するのは、マタギは山の資源を大切にしているということだ。人間による適切な狩猟採集を通さずして山を生存可能な環境にすることはできない、ということを彼らは理解している。持続可能性という概念が広く知られるよりずっと昔から、彼らは個体数を調整して持続可能な猟を行うというポリシーを持っていた。

『サカナとヤクザ』でみた漁業との差が著しい。もちろん持続可能性に配慮している漁師はいるが、資源に対する姿勢に差が生まれたことには様々な理由が考えられる。

戦後であれば、最大の要因は物流だろう。最近ではジビエが話題になることも多く、鹿や熊の肉を食する機会を作ることもできるようになったが、血抜きなどの問題があり大々的に流通に乗せるという業界構造にはなっていない。マタギにとって換金性の高い獲物は熊で、薬の原料として売れたというが流石に現代医療で用いるような薬ではなく民間療法の類だろう。家族や近しい親戚を多少裕福にはできても、産業化できるようなものではなかったのだ。そうなれば、法人は入りにくいと想像できる。もちろん密猟・密採集は存在するが、本気のマタギが密猟者を追い詰めるエピソードも存在する。今では状況が異なっていそうだが。

また、山と海のスケールの違いも関係していそうだ。海域の魚を取り尽くして生態系を破壊しても、他の漁師がいない別の海域に行けば魚はとれる。一方で、山で動物や山菜をとりすぎれば簡単に人間は干上がる。別のエリアは別のマタギの活動範囲である。越境が露見すればトラブルになる。このような経験を統計によらず伝えるために恐ろしい寓話が生み出されたのかもしれない。

冒頭でも述べたが、古いしきたりの伝え手は絶滅寸前だ。あるいはもう絶滅しているかもしれない。口伝がほとんどであった伝承の数々を文字に起こした工藤の功績は大きいだろう。そして、その功績は民俗学的なものだけではない。

現代でも知識や経験に乏しく、専門的知見からの説明を理解できない人間に納得してもらう必要があるシチュエーションは何かとある。こういった時に、寓話は効果的であったのではないか? と私は思っている。つまり、マタギの寓話は持続可能な猟を実施するためのベストプラクティスに対する呪術的な根拠付けだったのではないかということだ。

だとすれば、マタギたちの「奇談」が喚起するものに注目することで知識ベースでのコミュニケーションが成り立たないときにどういう寓話をすれば良いかのヒントになるんじゃないか。そんなヒントを得られる読書だった。(あと、八甲田山雪中行軍遭難資料館に行きたくなった)

12/18 ナイジェル・オールソップ『世界の軍用犬の物語』

世界の軍用犬の物語

世界の軍用犬の物語

意外に思われるかもしれないが、軍用犬のことを広く扱った書籍は多く存在しない。軍用機や軍用車をはじめとした兵器の書籍や、兵士の生活そのものを扱った書籍はごまんとあるにもかかわらず、である。それは軍事機密の保持という観点もあるが、活躍のわりについ最近までその活躍が大きく顕彰されることがなかったからだろう。

たとえば米国では2000年より以前、任務を終えた軍用犬が再び母国に戻ることはできなかった。その多くが現地で殺処分されたり、置き去りにされたりしていたという。現在では検疫を終えれば母国に帰り、有志が引き取って幸せな余生を送ることができるのだから、犬好きとしては安心する他ない。

本書はニュージーランド軍で軍用犬を扱う兵士(ハンドラー)を務めたオールソップが軍用犬の歴史から世界各国の軍用犬の使用状況に至るまでを網羅的に記載した一冊である。構成としては二部構成で、第一部で軍用犬の歴史を、第二部で50以上の国軍での軍用犬運用について記載されている。

第一部の軍用犬史では様々なことが語られるが、軍用犬の調教においては犬の本能を引き出すことが大事であると説かれている。曰く、犬の行動要因の75%はオオカミから受け継いだもの、15%が親犬から受け継いだもので、人間が教えられるのはわずか10%にしかならないのだという。

ゆえに、多岐にわたる軍用犬の任務のうち、そのほとんどが犬の本能を利用したものである。なかでも大きな比重を占めるのが警備と探知だろう。どちらも犬の鋭敏な嗅覚や聴覚に頼ったもので、爆弾テロの危険が伴う昨今の情勢から軍用犬の需要は高まっているのが現実だ。

第二次世界大戦後、戦場からは多くの動物が消えた。古来より戦場で用いられてきた動物といえば馬であるが、第一次大戦では機関銃の威力の前に騎兵が消え、第二次世界大戦以降は自動車の進歩により輸送手段としても軍馬は淘汰されるに至った。しかし、軍用犬の需要は消えることがない。これはなぜだろうか。

オールソップは「軍用犬は費用対効果に優れる」と説く。高額な機械警備システムは侵入者の存在を知らせることはできても、犬のように侵入者に噛み付いて捕らえることはできない。しかし軍用犬は1頭あたり5万ドルの育成費用で機械警備よりも多くの仕事を行うことができ、侵入者に威圧感を与えることができる。地雷探知にしても同じで、犬のセンサーとしての能力は同額の機械を遥かに上回り、何より汎用性に優れる。

その汎用性を活かし、世界各国では様々な軍用犬が活躍している。そんな多数の個別事例が挙げられているのが第二部であるが、最も興味深い事例はデンマーク軍のシリウス警備隊であろう。

彼らは世界で唯一の犬ぞりを使う部隊である。彼らの任務はグリーンランド北東の統治権の維持、北東グリーンランド国立公園の警備、そしてカナダの侵入を警戒することである。北緯70度を超え、冬には雪に閉ざされるこの地域では機械よりも犬が信用できるらしい。彼ら14人は自給自足を旨として2年分の備蓄を用意し、自身の犬ぞりを作り、毎日長い距離を犬ぞりで走る。想像を絶する世界だ。

犬は体重比で馬より2倍多く荷物を運ぶことができる。シリウス警備隊の場合は80kgの犬ぞりに最大400kgの荷物を積載し、40~50kgの犬11頭で運ぶ。豪雪のなかを1日30km走るというのだから驚きだ。体重あたりでは犬のほうが荷運びに適していることから、世界大戦では弾薬や機関銃が犬によって運搬されたらしい。弾薬はともかく、機関銃に毛が入らなかったのか少し気になる。

他にも英米仏をはじめとした軍事大国だけでなく、リトアニアエストニアといった軍事的にはマイナーな国の軍用犬事情も取り上げている。この辺りの軍隊についてはそもそも日本語で読める文献が少ないが、軍用犬の話となれば類書は存在しないだろう。ミリタリーマニアも手にしておいて損はないだろう。

と言いたいところなのだが、残念なポイントとして軍事用語の校閲が弱いことが挙げられる。たとえば「TNT爆薬」と訳すべきところを「NTT爆弾」としていたり、原著で「Japanese Self Defence Force(JSDF)」となっているであろう箇所をそのまま「日本国自衛隊(JSDF)」としていたりする。極めつけはスウェーデン軍の記述で「班長はAK5型小銃とM203グレネードランチャー(AK5C)を携行し」という表現があるのだがこれは完全に事実誤認である。Ak5CはAk5にピカティニーレールを装備したモデルで、M203はアンダーレールに装着するタイプのグレネードランチャーなので、実際はAk5C小銃にM203グレネードランチャーを装着したものを携行しているはずだ。軍事に少しでも知識のある校閲者なら絶対に見逃さないミスである。

それもそのはずで、出版社は『建築知識』を発行しているエクスナレッジ。建築系の他には動物の本を出しているため、動物本のつもりで訳書を刊行したのだろう。なにせ原題は"Cry Havoc"、日本語では「戦闘準備」なのだからどこにも物語要素がない。そんなわけで、動物関係の訳はしっかりしている。動物を目的に読む人は安心してほしい。

12/19 ボビー・ヘンダーソン『反進化論講座』

反・進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書

反・進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書

空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(スパモン教)という宗教がある。知っている人も多いだろうが、成立の経緯から語りたい。2005年、カンザス州では公立高校においてインテリジェント・デザイン(ID説)の立場も教えなければいけないという決議が評決されることになっていた。ID説とは、「知性ある何か」によって生命が創造されたという説で、主にキリスト教右派が主張している。彼らの基本姿勢は聖書の事柄を「科学」のように取り扱うことだ。詳しい話は伊勢田哲治の『疑似科学と科学の哲学』第一章にもあるので興味のある人はそちらも参照してほしい。

さて、ID説は明らかにキリスト教右派の影響を受けているにもかかわらず、「知性ある何か」を神と明言しない。そこに目をつけたボビー・ヘンダーソンという男性が抗議のために作った「知性ある何か」それが空飛ぶスパゲッティ・モンスター(スパモン)である。この世界はスパモンによって作られたのだから、進化論とID説を教えるのであればスパモンについても教えなければ辻褄が合わない、というわけである。これを面白がってスパモンという概念は世界中に広まり、立派な宗教書も出来上がった。それが本書である。

スパモンが存在することの証明は非常にユニークだ。たとえば、世界の人口と身長に相関を見いだしたボビーは、「古代人の身長が低かったのスパモンのヌードル触手に押さえつけられていたため」と説く。他にもボビーは、スパモン教において神聖な職業である海賊の数と、平均気温の間にも相関があると言う。海賊が少なくなったことで温暖化が起こったというのだ。こういう与太話に詳しい人ならば、プールでの溺死者とニコラス・ケイジの映画の公開数に相関があるのを思い出したかもしれない。つまり、全く関係ない相関に因果関係を求めているのだ。

例がバカバカしいが、疑似相関に因果関係を求める構造自体は疑似科学や詐欺の常套手段である。ボビーはこれらの説を提唱するにあたって、以下のように述べている。

まず結論をはっきり定め、次にそれを裏付ける証拠を集めるのだ。

ID説は「旧約聖書の肯定」という目的があり、「知性ある何かが生命を創造した」「ノアの伝説の通りの大洪水は存在した」という結論ありきで様々な証拠を提出する。そこには反証可能性や再現性は存在しない。スパモン教はその手法をパロディして、ID説や疑似科学を批判しているのだ。

そういう出自であるから、宗教としてのスパモン教は非常に寛容である。戒律としては8つの「本当にやめてほしいこと」という道徳があるのみである。以下に抜粋しよう。

  1. スパモンを語るときに聖人ぶった独善的な態度を取るな
  2. スパモンを他人に辛くあたるための手段とするな
  3. 人を外見で判断するな
  4. 自分やパートナーを傷つけるな
  5. 他人の偏狭な意見に空腹状態で反論するな(パスタを食べてから反論しよう!)
  6. スパモンのために大金を使うな。貧困をなくすか、病気を治療するか、平和に生き、燃えるように愛し、通話料を下げるようにするかの3つのうちから好きなことをしろ
  7. スパモンに語りかけられたことを人に言いふらすな
  8. ド下ネタなので割愛

言うまでもなく、これらは既存宗教へのアンチテーゼだ。特に「主に語りかけられたことを喧伝するな」は預言者を持つ多くの宗教を明らかに意識した内容である。最後の割愛部分も、精一杯好意的に見れば、キリスト教の性的不祥事への皮肉と見ることもできるだろう。

そしてもう一つ、スパモン教徒として一番大事なこととして、あらゆるドグマを拒絶するというものがある。ドグマというのは何かを絶対的に信じることであるが、そのためには何かを知り尽くしている必要がある。ゆえにスパモンスパモンが存在するということを含めてドグマを拒絶する。「ドグマを拒絶する」というのはドグマではないのかと思うが、気にしないでおこう。

パロディというのは対象をよく研究していなければ面白くならない。その観点からすると、研究度とユーモアにおいて、スパモン教はなかなか面白い。教育的な効果でいえばダレル・ハフ『統計でウソをつく法』を読むほうが疑似科学を疑う力はつくだろう。しかし、スパモン教は宗教であるのが最大の特徴であり、利点である。

ここまで書くタイミングが見当たらなかったが、私はスパモン教の牧師だ。一応、精神的な指導を他人に行うことができるとされているが、スパモン教会の公式サイトからPayPalで40ドルを払えば誰でもなれるものだ。アメリカから証明書とIDカードを送ってもらえるので、欲しい人は送料30ドル、証明書10ドルくらいの気持ちでなってみよう。

中高をカトリックの学校で過ごしたこともあり、私にとってスパモン教への「改宗」はネタとしての意味合いが大きかったが、証明書が届いたときは少し胸がすっきりした。生まれて初めて、信仰を勝ち取ったという感覚があったからだ。今はどんな道徳に出会っても「私はスパモン教徒で、牧師の資格も持っているから」と必要以上に引き込まれずに済む。いわば心の防波堤となる存在だ。

宗教社会学が明らかにしているように、宗教には社会的な意味合いが大きい。しかし、内的にはこのような防壁としての役割を果たすこともできる。何かと「こうあらねばならない」とされがちな現代、スパモン教徒になることで小さな安寧を得られると思ったら改宗を検討してもいいだろう。大丈夫、スパモン教には「返神保証」として以下の言葉がある。

30日間お試しください。もしお気に召さなければ、必ず元の神様にお返しします。

願わくば皆様にスパモンのヌードル触手の祝福がありますよう。ラーメン。

12/20 高木三四郎『俺たち文化系プロレスDDT

俺たち文化系プロレス DDT

俺たち文化系プロレス DDT

DDTというプロレス団体をご存知だろうか。ご存知でない方に向けて説明すると、やることなすこと、既存の枠にとらわれないプロレス団体だ。

たとえば、ビアガーデンで飲食をしながらプロレスを観戦できるビアガーデンプロレス。あるいは、キャンプ場や遊園地を貸し切って行う路上プロレス。Amazon Primeを契約しているなら、「ぶらり路上プロレス」で検索してほしい。私がプロレスに興味をもつきっかけとなった作品だ。

興行だけでなくレスラーも個性的だ。相手のタイツに手を突っ込むなどの「男色殺法」を繰り出す"ゲイレスラー"男色ディーノや、試合前の煽りVTRならぬ「煽りパワポ」を得意とするマスクマン、スーパー・ササダンゴ・マシンなどが在籍している。

色物ばかりかと思えば、現在新日本プロレスで中心選手として活躍するケニー・オメガ飯伏幸太が日本でのキャリアをスタートさせたのもこの団体である。現在もHARASHIMA竹下幸之介をはじめとして実力派も多く、最近ではドラゴンゲートのCIMA率いる#STRONGHEARTSとの団体間抗争が非常に熱い。

そんな何でもありなプロレス団体の創設者の一人にして社長にして、今なおリングに上がるプロレスラーである高木三四郎の自伝が本書、『俺たち文化系プロレスDDT』である。ちなみに発行は2008年、10年前のDDTの姿で本書は幕を閉じているが、その後の話も少ししたい。

高木が生まれたのは1970年の大阪府豊中市。父親はテレビ局員で、小さい頃から舞台の「裏方」に憧れていたという。当時はプロレスがゴールデンタイムで放映されていて、学校では日本中の子どもたちがプロレスごっこに興じていた。プロレスラーが夢の職業だった時代だ。

多くの少年がスタン・ハンセンや長州力といったスター選手の役をやりたがるなか、高木少年はテレビ局員の父親を持つだけあって天龍源一郎や阿修羅・原といった脇役レスラーを好んでやったという。天龍源一郎は今でこそトップレスラーだが、当時の全日本プロレスの中心選手はジャンボ鶴田で、天龍源一郎はそのタッグパートナーでどちらかというと脇役扱いだった。詳しくは「天龍革命」「鶴龍対決」などで調べてほしい。(余談だが長州も82年までは藤波辰爾の後塵を拝する存在だった)

その後、高木は新日本プロレス全日本プロレスに履歴書を送るも連絡はなし。進学した駒沢大学では学生イベント界の大物になるなど、プロレスラーとしては異色の経歴を持つ。しかし、この頃に、プロレス業界人として稀有なプロデューサーとしての才覚を目覚めさせ、メディア関係のコネを作った。

その後、紆余曲折あって高木はDDTを立ち上げるのだが、その前に日米のプロレスの違いを説明したい。

日本のプロレスは力道山に由来を持ち、真剣勝負が建前として存在する。総合格闘技におされての低迷期を経てその風潮は薄まってはいるが、現在でも完全に払拭されたわけではない。しかし、アメリカンプロレス、特に米国最大の団体であるWWEは自らを「スポーツ・エンターテインメント」と称している。WWEは人気シリーズ『スマックダウン』をはじめテレビ放映を前提としており、脚本=ブックあっての展開を楽しむものだ。

高木はそのWWEスタイルを日本向けに「翻訳」し、根付かせた人間であろう。DDT以前にもエンターテインメント系プロレスは存在していた。たとえば大仁田厚率いるFMWがそれである。電流爆破マッチを初めて行うなど、エンターテインメント性に溢れる試合を数多く行っていたが、WWEスタイルというよりはケレン味で戦う団体だった。大学時代の高木はよくFMWを観戦していたという。

なぜ、高木がWWEの本質を見極められたか。大学時代までの経緯を知っていれば理解できるだろう。彼にはテレビ的なエンターテインメントを理解し、仕掛けるための素質がすでにあったのだ。このセンスを、高木は「文化系」と称している。真剣勝負、年功序列といった伝統を重んじる旧来の日本のプロレスを体育会系としたときに、それにとらわれない高木の姿勢はまさに「文化系」といえるだろう。

よく、「プロレスにはブックがあり、全て決まっている」と言われる。確かに、勝敗や王座の移動など、事前に決まっていることは数多く存在する。だからこそ、アクシデントの演出や、観客の熱に応じたアドリブでリアルさを作り込んでいくことが大事であると高木は語る。

プロレスってどんなに「ファンタジー」のように見えても、現場のお客さんの反応はとことんリアルなものとしてあるわけで、だからこそ、プロレスラーにはその反応を瞬時に取り込んでいく頭の柔軟さが求められる

この結論に至る高木自身も相当に柔軟で、抽象化に長けていることがよくわかる一文だ。その高い抽象化能力によって描かれるプロレスラー像もまた、唸らせる。かつてプロレスラーは、モンスターだったと高木は言う。昭和のレスラーを思い起こすと、確かにその傾向は感じられる。「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアント、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック、「超人」ハルク・ホーガン、「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャー……外国人を街で見ることの少ない時代である。誰も彼も、日常生活ではお目にかかれない珍しさを持っていた。

しかし、21世紀にそんなモンスターはいない。そこで高木が持ち出したモノサシが「胡散臭さ」である。この視点でDDTのレスラーを眺めてみよう。たとえば現KO-D無差別級王者の佐々木大輔はチャンピオンになった翌日の記者会見にビール缶とともに現れた。賞金の200万円の使途を聞かれて「軽自動車を買ってそのまま車で来た」と言い放つが、軽自動車にその金額はおかしいし、即納車もおかしいし、だいたい本当にやっていたら飲酒運転である。こんな破天荒で胡散臭い人間、なかなか見られないし面白い。それでいて佐々木は強いし、人気もある。その佐々木は本書の出版年である2008年にDDTのリングに初めて上がっているのだから、高木の慧眼を感じることができるレスラーの一人である。

このとき佐々木が王座を奪った相手が冒頭で紹介したゲイレスラー、男色ディーノである。彼はDDTに加入してすぐに頭角を現し、マッチメイクを決める会議に参加するようになったことが本書で語られている。それまでの「体育会系」プロレスでは新人がマッチメイクに関与することなどなかったが、「文化系」プロレスでは能力さえあればすぐに登用する。この判断力がDDTを支えているのだな、と感じさせてくれるエピソードだ。

そんなこんなで、きらめく胡散臭い人材と、それを有効に使う高木の2008年までの過程が綴られた本書だが、本書は別ブランド「マッスル」の隆盛で幕を閉じている。

ここからは、本書で語られない話だ。

その「マッスル」はどうなったかというと、2010年に代表者のマッスル坂井が実家の坂井精機を継ぐために休止となった。実家を継いだマッスル坂井は引退したかと思いきや、スーパー・ササダンゴ・マシンとして今もDDTのリングに上がっている。冒頭で紹介した煽りパワポレスラーである。

10年前、つまり本書の最後で、高木は「DDTには売るべき才能がある」「どんどん他ジャンルに露出させていく」と述べている。プロレスをエンターテインメントと捉えた結果、エンターテインメントすべてができるようになったという理屈である。

結果はどうなったか。事実、一部はそうなっている。たとえば、舞台版FGOケツァルコアトルを演じる赤井沙希オスカープロモーションに所属し女優・モデルをする傍らDDTのリングにも上がっている。4Gamerでの「男色ディーノのゲイムヒヒョー」は長期連載になっているし、スーパー・ササダンゴ・マシンは松竹芸能にも所属してプレゼン講座のDVDも出している。が、それくらいだ。アントーニオ本多が自主制作映画を作っているが、売れていない。逆に他ジャンルからは元LinQ伊藤麻希が関連団体の東京女子プロレスに所属して暴れ回っている。

今後が気になる出来事もあった。2017年、サイバーエージェント(以下CA)がDDTを買収した。グループ入り記念としてCA社内で路上プロレスを開催、記者会見ではCA藤田社長が「DDTのプロレスを変えるつもりはない」と発言したものの、もともとあったユニットである酒呑童子が解散を打診されるなど、火種もある。先日、官報に決算公告が出ていたが、自己資本比率が低いため経営は流動的にならざるをえないだろう。そして何より、CAの企業文化は体育会系に近いのが心配だ。

はたして、文化系プロレスはどこに向かうのか。未来を占うためには現在までの歴史を知らなければならない。気になる人は、歴史をこの一冊で学んでも良いのではないだろうか。そしてDDTが好きになったら直近では12/30にリーグ戦(D王)の決勝戦があるので足を運んでみてもいいだろう。1/3の後楽園大会とあわせ、AbemaTVでの放送も予定されている。

12/25 A.J.ジェイコブズ『聖書男』

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

日本人にとって聖書は馴染みの薄い書籍の一冊だろう。まして、聖書の教えを具体的に述べられる人はそう多くない。しかし、ニュースなどで保守的なキリスト教徒が同性愛や同性結婚に反対しているのは聞いたことがあるだろう。これはレビ記18章22節の『女と寝るように男と寝てはならない』に由来している。聖書にはこのような決まりがいくつもあり、著者はその全てをなるべく守ろうと努力する。しかし、「新月の夜に角笛(ショファルという)を吹く」(詩篇81)のように、明らかに現代にはそぐわない教えも多い。そういった教えを律儀に守ることで宗教の本質を見極めようとする体験記が本書である。

ジェイコブスはなぜこのようなことをやろうと思ったのだろうか。彼はあまり信心深くないユダヤ人として育ち、宗教的には不可知論者である。しかし、キリスト教右派をはじめとしてアメリカでは宗教が力を増しているし、イスラーム主義もまた中東を席巻している。不可知論者であるジェイコブスにはそれがわからない。世界がおかしいのか、それとも自分がおかしいのか。それを確かめるために聖書に飛び込んでいくのが本書である。

本業が『エスクァイア』のシニア編集者なだけあって、ジェイコブスの体験記はべらぼうに面白い。その一方で、宗教とは何なのかという問いは読めば読むほどにわからなくなっていく。宗教は全てを相手に委ね、180度の変化を受け入れるものである。「回心」という和訳はよくできていると思う。それゆえに、面白おかしく、距離をおいて実践できるものではないと実践にあたっての宗教アドバイザーから注意される。

そう言われつつも、ジェイコブスは半年が経った辺りから徐々に宗教的になっていく。具体的には今を生きることへの感謝が多くなり、先々のことよりも今を重視するようになった。終盤ではトランス状態すら経験する。しかし、宗教アドバイザーは「宗教を自己啓発に使うな」と言う。確かに、こういった自己啓発であればストア派哲学で足りる。

では、宗教の本質とはいったい何だろうか。おそらく、宗教社会学が述べるように、共同体がうまく回ることが最大の効果なのだろう。ジェイコブス自身も「意義のあることは集団に属しているときに感じる」と述べている。彼はダビデ王の帰還を記念したダンスパーティや、鶏を生贄にする儀式など、超正統派のユダヤ教徒とのイベントで多くの感動を得ている。

しかし、現代は必ずしも共同体を求めていない。というより、近代すら求めていなかったのではないか。マックス・ヴェーバープロテスタンティズムと資本主義の倫理』にもあるように、プロテスタントの思想は個人主義の下地となった。プロテスタントは万人司祭主義をとっており、聖書解釈は個人に任せる一方、カトリックは伝統的に聖職者の聖書解釈が前提となっている。要するに、カトリックのほうが集団主義的なのだ。ユダヤ教にしても同様である。

時代が共同体を必要としていなくても、人間は共同体を求める。宗教は、考えなければならないことを減らしてくれる。食物規定は何を食べるかを、服装規定はファッションを、祈りの時間はいつ起きるかを決めてくれる。選択肢が少ない状態のほうが内的な自由を持つことができる、というユダヤ教徒もいる。人生に選択肢の多く、世界が複雑になっている現代において、強い指導者がいて、選択肢を減らしてくれる宗教が力強くなっている、という説明は理解できる。

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』にも、人間は無理矢理にでも出来事に関連付けて納得したい性質があるという話がある。森が描かれたカードと、ウサギが描かれたカードが2枚並べられていたら、おそらく全員が森にウサギがいる光景を思い浮かべるだろう。一言も「2枚のカードには関係があります」と言われていないにもかかわらず、である。宗教において、関連付けを行うのは神だ。神のおかげ、神の思し召しという説明は、納得できない複雑性と偶然に支配された世界を納得できるものに落とし込むための強力なツールだ。アラビア語にも الحمد لله(アルハムドゥリッラー)、直訳すれば「神様のおかげです」という常套句がある。

一方で、判断や行動を宗教のせいにすることを批判する宗教者も存在する。だから宗教は難しい。個人レベルでは慈愛と謙虚さを深めることができるのに、「神を知っている」ということは傲慢にも繋がる。その傲慢な人間も、共同体の中では慈愛に溢れていたりする。

パスカルは『パンセ』で「人の心には神の形をした空洞がある。その空洞を埋めることのできるのは神だけだ」と述べたという。もしかしたら、その空洞の形は人によって異なっていて、形の違いを気にしない人もいれば、それが許せない人もいるのかもしれない。私の空洞は空飛ぶスパゲッティ・モンスターの形をしているので、たとえジェイコブスからも許されるかどうか微妙だが。